2006年11月16日

教育基本法改正案強行採決

松坂の入札球団の発表が異様に遅いなと思っていたら,
これとぶつけるためだったのね。
さすがに藤原紀香までは関係なかろうが,でももしかしたら…

おかげでTVはほとんど報道してない。

ともあれ,
こうするために小選挙区にしたのだから,シナリオどおりではある。
でもまだこれは序の口。

最大のターゲットは,憲法。

すでに吼えまくり担当の政治家が下地をならし始めているから,
衆議院で今の絶対多数をもっているうちに,必ずやってくる。

来年は「自主憲法元年」になるだろう。
…ほっとけば,ね。
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2006年11月13日

教育基本法改正案をつぶさに読む(3)

昨日,「問題は定義である」と書いた。
だがそれは,今回の改正案自体無色であることを意味するわけではない。

今回の改正案は,教育の目的・目標を細かく設定することによって,その「定義も国家が決めるぞ」という宣言となっている。

その種は,現行法第1条「教育の目的」ですでにまかれている。
ただ,現行法が,それまでの大日本帝国の権力構造を分解するという意図を有していたので,「国家による国家のための教育」という側面は前面には出ていなかった。

今回の改正案は,ここを徹底させるわけである。

言ってみれば,国民は国家のためにある,という主張で貫かれているのである。

国家は国民のためにあるはずだ。そして,国家は共同生活のための道具にすぎないはずだ。だから,あたかも「日本は自分である」かのように,国家と自己を重ねて見るのは馬鹿である。

馬鹿ほど1つ覚えを大声でくりかえすから,困ったもんである。

そしてその大声に乗って,改正後の「定義づけ」という密かで確かな波がやって来るのである。
タグ:教育基本法
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2006年11月12日

教育基本法改正案をつぶさに読む(2)

改正案

(教育の目的)
第1条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

(教育の目標)
第2条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
 1 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
 2 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
 3 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
 4 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
 5 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

(生涯学習の理念)
第3条 国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。


現行法

(教育の目的)
第1条 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

(教育の方針)
第2条 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。


「国家及び社会の形成者として」の「心身ともに健康な国民の育成」を目的とする点は,現行法と変わらない。つまり,
教育は,本人のためではなく,国家・社会のために行うのである。
親も教師も本人も,このこと,今までわかってました?
この点を問題にする人がおそらくいないのは,不思議である。

それにしても,「心身ともに健康」って何だろう?
権威に反抗したり,多勢に従わなかったりするのは「不健康」,ということになりそうだ。いや,すでになってるかな。
これも,現行法でも同じ。

「道徳心を培うとともに」「公共の精神に基づき」「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する…態度を養うこと」などが追加。
これを問題にする人が多いようだ。だがそれより何より,まず思うのは,
やたらと細かくなったということだ。
国の構成員を国のために教育する,という前記の大前提からすれば,これらの条項を加え,子供と教師をがんじがらめにするのは,目的に適ったことであろう。

法は,権力を維持するための道具なのだ。
どんな者が権力をとったところで,その点は大同小異。
「道徳」「公共」「伝統」「国」の定義が変わるだけである。

「道徳」も「公共の精神」も,なければ人間どうしいっしょに生きてはいけない。歴史があれば,必然的に「伝統」もうまれる。「国」も,今どきなしではすませられない。
ただし,「美しい国,日本」には,すりかえと欺瞞がある。「美しい日本の風土」だったら同意するけれど。
ともあれ,実定法がどう定めようと,これらは実際にいやおうなく存在するものである。
前にも書いたように,問題はその定義である。

「自発的精神」が,さりげなく削られている。
現時点ですでに,自発的精神の乏しい日本人が増殖の一途である。だからこれは,現状を追認したに過ぎないのだろう。だって,書いてあっても役に立たなかったんだから。
タグ:教育基本法
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2006年11月11日

教育基本法改正案をつぶさに読む(1)

うかうかしている間に採決されてしまうかもしれないので「時すでに遅し」かもしれないが,教育基本法の改正案を細かく読んでみる。

改正案前文
 我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

現行法前文
 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。



「公共の精神を尊び」,「伝統を継承し」が目新しく,「個性ゆたかな」が消えた。

「公共の精神」は,言葉の定義が問題である。たしかに他人の迷惑をかえりみない輩が増えているのは腹の立つことである。しかし,それは基本的に他人の立場に立つための想像力があるか否かの問題である(ぜひとも「想像力を育成」してほしいものだ)。これが「奉公の精神」とすりかえられるとしたら,たまったものではない。

「伝統を継承」するのはいいことだ。ただ,いつの伝統を継承するのかということが問題である。縄文から江戸に至る時代の伝統なら継承したいが,「大日本帝国」の(わずか半世紀あまりの)「伝統」だとしたら,まっぴら御免である。

「個性」は,本来ゆたかなものである。だからことさら言わなくてもかまわない。だが,これを根拠に「個性をなるべく消そうとする」教育がなされるならば,あまりに息苦しくて,窒息死する者が後を絶たなくなるだろう。
タグ:教育基本法
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2006年11月05日

ケーススタディ1

とある人(かりにW氏とする)の意見。
「にわか教育評論家」の一人である。

********
(W氏の発言)

『教育再生』を声高に叫び、安倍新政権は発足しました。そんな矢先、教育現場では必修科目を無視して大学受験を優先させた高校の実態が明らかになるなど、問題や矛盾が相次いで露呈しています。

確かに、ゆとり教育が目覚ましい成果を上げたという数字データは一切存在せず、若者の学習意欲や教養面で退行を感じる部分はあります。 とくに、近年は読み書き計算という基礎的な学力が最も危うく、分数すら理解しない大学生もいるという危機的状況です。 教育は国家の未来を左右する大問題です。

円周率を、おおむね『3』などと教えるアホ教師が存在する国は日本だけだ!

しかし、教育問題が"ゆとり教育"だけの問題なのかというとそれだけではあり得ないのです。 ゆとり教育の是非を問う前に、まず先に、分析と検証を徹底的にするべきではないのでしょうか。 そもそも、学力をどう判断し見極めていたのか・・・ これまで文部科学省では、それすら十分に論議されたことはないのです。

学力低下より、まず教育に対する教員の意識の低下が問題!

確かに、各種の部分的調査は学力低下傾向を示していますが、学力の定義も画一化したものがない上に、客観的判断と問題を明確化できるデータも少ないというのが現状です。 そんな事よりも、まずは『公務員のゆとり』を生かして、現場教師のモラルの確立と、人としての躾と、道徳心を養う社会教育の整備が最優先だと私は思います。

教育再生などと簡単に口にしますが、この国が60年掛けて壊し続けてきたものは、直ぐには再生できないのです。

********

問題点
1.「必修科目を無視して大学受験を優先させた」

今,何が必修科目かご存知か。(もしあなたが高卒以上であるなら)あなたが高校生のとき,自分の必修科目が何だったか,ご存知か。
…おそらく知らないであろう。

2.「円周率を、おおむね『3』などと教えるアホ教師が存在する国は日本だけだ!」

に対しては,次の文章をもって答えよう。
いずれにしろ「教師の質」の問題ではなく,「文部科学省学習指導要領」の問題であることを,W氏はわかっていないのだが。
 
(以下,文部科学省HPより引用)
『新学習指導要領の小学校5年生の算数には「円周率としては3.14を用いるが,目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮する」とあり,現行と同様に円周率として3. 14を使うことが明確にされています。「目的に応じて3を用いる」というのは,およその面積を見積もる場合などに,子どもたちに必要以上の負担をかけず,考える時間を確保するためのものです。こうした扱いも現行と同様です。このようなおよその見積り は,一般の社会においてもよく行われていることです。』
(引用終わり)

指導要領に書くほどのことか? 現場の対応で済むのでは?
とは思うが,少なくともW氏は聞きかじっただけである。

3.「学力低下より、まず教育に対する教員の意識の低下が問題!」
…根拠なし。
「まず先に、分析と検証を徹底的にするべきではないのでしょうか。」と言った直後なのに。

4.「この国が60年掛けて壊し続けてきた」
さりげなく書いてあるが,何を根拠に「60年」なのだろう。その証明は,全くなされていない。
むしろ,単純に考えて,明治政府が壊したと考えるのが,日本史を正しく学んだものの見解ではなかろうか。
おそらくW氏は,高校で日本史を学習しなかったのであろう。
よかったねー,日本史必修でなくて。
もしかしたら,あなたの卒業取り消されてたかもよ。

他にも突っ込みどころは多々あるが…

高校で日本史を必修にしないからこういう輩が出てくるのか?
それとも学力が低下しているからこういう輩が出てくるのか?

とにもかくにも恐ろしいのは,W氏の発言を読んだ善良な人々が,皆同じ意見になっていることである。

無知は恐ろしい。

ubsgwさんのblogにTrackBackを送ります。

posted by 未明庵 at 22:54| Comment(2) | TrackBack(0) | ぶつくさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お国はどちらですか

ときかれたら,出身都道府県(か市町村)を答えるだろう。
これを仮に「くに」としよう。

「国」と「くに」とは,異なった概念である。

江戸以前の長い歴史の中に存在したのは「くに」である。そして
「日本」は「世界」であった。
それはふつう,「天下」と呼ばれていた。

ところが幕末に,対立概念としての「異国」が現れて初めて,日本という「世界」は「国」となった。それは,「異国」と戦うときに意識されるものであった。

今でも,オリンピックとかワールドカップとかのときだけ「国」を意識する人は多いのではないか。それは,敵対する「国」があるからである。
あるいはまた,外国へ行って初めて自分が日本人であることを自覚した,という人も多いようだ。それは「異国」を具体的に意識して初めて,「日本という世界」が,「日本という国」になるからだろう。

ところで,「愛」にもいろいろあるが,いちばん安直な「愛」の対象となるのは,対立するもののある場合である。
ひいきのチームの紅白戦では,どちらかを応援しようという気にはならない。
憎き敵がいるからこそ,応援に熱が入るのである。

「国」には「異国」「敵国」という対立概念があるから愛の対象となる。
しかし「世界」には対立概念が存在しないから,愛の対象にはならない。
その証拠に,誰でもつかまえて尋ねてみるといい。
「世界を愛してますか?」
…新興宗教の勧誘と間違えられるのが関の山だろう。

日本が「世界」から「国」になって,まだわずか150年ばかり。だから大半の日本人はいまだに,「世界を愛してます」と言うのと同様の気恥ずかしさを覚えずに「日本を愛してます」と言うことはできないだろう。

ヨーロッパ人に愛国心が旺盛なのは,ヨーロッパが,民族間そして異宗教間の血で血を洗う野蛮な長い歴史をもつからである。そういう歴史をもたない日本と比較しようというのは,大間違いだ。

要するに,
国を愛させたかったら,敵をつくるのがいちばん
なのである。

だからはっきり言って,教育基本法に「愛国心」という語を記載するかどうかは,たいした問題ではない。世論を煽って仮想敵国をつくればいいだけの話なのである。

ソ連なき今,その候補の筆頭は,もちろん北朝鮮。そして国境問題や靖国問題などで韓国,中国,そして台湾である。
これらの国と下手に仲よくしすぎると,政府としては国民の愛国心を高められないから困るのである。

ただし,よく知っている者を「敵」であるとは考えにくい。だから,
敵だと思わせるには,真実を知らせないのがいちばん
なのである。

中学では,世界史の学習は「我が国の歴史を理解する際の背景として我が国の歴史と直接かかわる事柄を取り扱うにとどめ」なければならない。かんたんにいえば,
「義務教育では世界史は教えるな」
ということ。

そのうえ高校で日本史を必修としたならば,おそらく世界史を履修する人数は今よりさらに減るだろう。

外国の歴史を知らない人間が増えるのはまちがいない。
(日本の歴史を知る人間が増えるかどうかは疑問だが)
そうすれば,外国を敵だと思わせるのは,今よりたやすくなるだろう。

そこに,「高校での日本史必修」の意味がある。
それに加えて,物心ついたころから「愛国」「愛国」と唱えさせ,「君が代は千代に八千代に」と歌わせておけば,さらに構えは磐石というものだ。

じゃあ,なぜ「愛国心」を持たせたいのかって?
それはもちろん,国を愛していれば,国が何をやっても許しちゃうからである。
愛は盲目って言うでしょ。
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2006年11月04日

誰かが日本を殺したか

「美しい日本」が崩壊の危機にある。
その原因は教育現場の崩壊にある。
もとはといえば,愛国心軽視の教育がいけない。

最近にぎやかな論調は,要約するとこんなところだろう。

ここで疑問。

崩壊の危機にある「美しい日本」とは,いつの日本?

高度成長期の日本だろうか。
戦前の大日本帝国であろうか。
大正デモクラシーのころか,明治の日本か。
江戸期の日本か,平安朝か。
はたまた弥生時代か,縄文時代か。

ある時代には,その前の時代の何かが消滅している。
そうでなければ,われわれはまだ稲さえ手にしていないはずである。

あえて言うなら,「美しい日本」は,つねに崩壊し続けてきたのである。

それを今,ことさらに言うのは,意味わかんない。

おそらくは,「戦争に負ける前の日本」すなわち日清戦争から太平洋戦争直前までの日本を想定しているのだろう。
「愛国心」が強調されたのは,長い日本の歴史の中で,その時代だけだから。

その時代は,言いかえると「戦争をしていた日本」である。

となれば,彼らの結論はこうなる。

「戦争をしていた日本は美しかった」

ちなみに,「廃仏毀釈」と「神道の歪曲」という,おそらく日本史上最大の「伝統破壊」を行ったのは,「教育勅語」と「軍人勅諭」をつくった明治政府である。
posted by 未明庵 at 14:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ぶつくさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月01日

高校はいつから義務教育になったの?

「履修漏れ」が全高校の1割に達し,「単位の足りない」高校3年生の数は8万3千を超えた。
私立2校を除いて調査は終わったらしいから,これで打ち止めだろう。

ところで,あちらこちらで「必修科目」論議が喧しいが,またまたここで疑問。

高校は義務教育ではないはずだ。
それなのに,やたらと「必修科目」が多いのは,なぜ?


高校には,行かない自由がある。
だったら,学ぶ科目を選ぶ自由だって,あってしかるべきではなかろうか。

【必修授業時間数(50分授業のコマ数)】…学習指導要領による
国語:70または140
地歴:世界史:70または140,日本史あるいは地理:70または140
公民:現代社会あるいは倫理あるいは政治経済:70
(つまりは社会が210〜350)
数学:70または105
理科:175または210
保健体育:315または350
芸術:70
英語:70または105
家庭:70または140
情報:70

70コマということは,週1回の授業で2年,または週2回で1年ということになる。

「または」というのは,同じ教科でも科目によって必修単位数が異なるため(たとえば世界史Aと世界史B)。70または140というのは,文字どおりどちらか,ということであって,70〜140という意味ではない(世界史Aなら70,世界史Bなら140)。

ところで,世界史AとBのちがいは?
答えは,「Aはルネサンスから始まる」


ちなみに「日本史必修」について。参考までに,中学校社会の「歴史的分野」については,次のような記述が学習指導要領にあることを指摘しておく。曰く,

『世界の歴史については,我が国の歴史を理解する際の背景として我が国の歴史と直接かかわる事柄を取り扱うにとどめること。』

つまり,義務教育である中学では,日本史は教わるけれど,世界史はほとんど教わらないに等しいのである。
posted by 未明庵 at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ぶつくさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

履修漏れ発覚の謎

高校必修科目履修漏れ騒ぎ。
公立だけで全国ほとんどの都道府県の5万人近い高校3年生を巻き込んでいる。私立も含めると7万人以上だという。
大学受験を目前に控えた当人たちにとっては,迷惑このうえない話だろう。

そもそも学習指導要領がおかしいんじゃない?という気もするが,それはとりあえずおいといて。

謎なのは,なぜ今,この時期に?ということ。

事の発端は,この記事か。

『必修履修せず197人卒業ピンチ 富山・高岡南高
(2006年10月24日12時18分)
 富山県立高岡南高校(篠田伸雅校長、高岡市戸出町)で、地理歴史教科を選択制としたため、3年生197人全員が卒業に必要な科目を履修していなかったことが24日、わかった。同校は県教委とともに卒業資格取得のための方策を協議している。』
(朝日新聞 asahi.comより)

『必修の世界史授業せず=「受験に不要」と生徒−富山県立高
(2006年10月24日12時18分)
 富山県立高岡南高校(篠田伸雅校長)が昨年度、2年生の一部に学習指導要領で必修となっている世界史の授業をしていなかったことが24日、分かった。県教委は「同校にはこれから(世界史を受けていない現在の)3年生に対し、世界史授業の必要時間数を確保してもらう」としている。』
(時事通信)

「わかった」というのは,何?
「〜の調べでわかった」と書くのが普通じゃない?
誰が調べたの? 何の目的で調べたの?
それとも,誰かがリークしたの? その意図は?

教育基本法改正案が審議中であることと,何か関係があるのだろうか…

あるいは,これも関係しているか…

『伊吹文科相「高校の日本史は必修に」 中教審に検討を指示
2006年10月21日(土)03:22
 伊吹文明文部科学相は20日の衆院文部科学委員会で、現在は選択科目である高校の日本史を必修科目とすべきだとの考えを示した。早急に文科相の諮問機関である中央教育審議会に検討を指示する。』
(産経新聞 Sankei Webより)


―訂正―
ニュースの出所は北日本新聞だとのこと。
PPFVさんのblogより)
だがその筆致は,ここでも同じ。
曰く,

『高岡南高校(篠田伸雅校長、生徒五百五十五人)で昨年度、一部の二年生に必修科目の世界史の授業を行わず、代わりに日本史と地理の授業を受けさせていたことが二十三日、分かった。』

やはり,「分かった」なのである。
どうやって?という疑問はぬぐえない。


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posted by 未明庵 at 05:10| Comment(2) | TrackBack(2) | ぶつくさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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